feature02

[タグ]
わたしは、本を読むのに時間がかかる。唯一自由に使える通勤時間を読書に当てると、1冊読み終えるのに、一ヶ月近くかかることもある。ページをめくることを急がずに、コーヒーをゆっくりと抽出するみたいに、著者が書いた文字を反芻しながら、頭の中にゆっくりと閉じ込めていく。SNSに疲れたとき、本を読むのはとてもいいリフレッシュになる。顔の見えない数千人、数万人を相手にするのではなく、たったひとりの著者と向き合うからだ。 ちょうどWeezerの「Numbers」という曲がラジオアプリから流れてきた。気になるメロディだったため、なにげなく歌詞を調べてみると、偶然にもSNS時代にいいねの数で他者と比較してしまう葛
[タグ]
先日仕事がひと段落して外に出ると、蝉が鳴き始めていることに気がついた。ああもうそんな時期になったんだなと感じながら、ふと、幼少の頃、夏休みに母方の祖母の家で過ごしたことを思い出した。母方の実家は鹿児島の桜島のふもと、つまり超田舎で、割と古風な家庭だった。そのため、きっちりしているところはきっちりしていて、家のルールや食事時の作法ではよく怒られた記憶がある。 そんなおばあちゃんちの食卓では、お味噌汁は漆のお椀だった。もちろん当時は、器が何でできているかは気にもしなかったが、思い返してみると今でも、手に持った感触をふくめ、なんとなく漆の器のことを覚えている。 夏の気配に誘われてそんなことを思い出し
[タグ]
11月に車を走らせているとき、たくさんの白鳥が収穫された後の田んぼで休んでいるところと遭遇しました。ちなみに、東北地方は白鳥の飛来地が多い土地です。車を停めて眺めていると、臆病な性格の白鳥は、すぐに気配を察知して飛び立ってしまいました。ちょっと申し訳ないことをしたなという気持ち半分、なんて勇壮に羽ばたくのだろうという感動も半分。この力強い羽ばたきで海を越えてきたと思うと、そのスケール感に圧倒されてきます。 彼らが暮らしていたであろうシベリアは、どんな場所か思いを馳せる。今いるにかほ市の田んぼを発見して、気に入るまでの旅路はどれほど過酷だったのだろう。そして、にかほに必ず舞い戻れるのはなぜだろう
[タグ]
子どもに物を教えたり、お説教をするには、それ相応の覚悟が必要だ。親がやっていないこと、できないこと、を子どもにやらせようとすると、間違いなく見透かされる。真っ直ぐで濁っていない瞳で、的確にそれを見抜いてくる。 「ジュースは3日に1本!」→「ビール毎日何本も飲んでいるじゃん」「早く寝なさい!」→「毎日夜遅くまでテレビ見てるじゃん」 こんな日常的なことはもちろんだが、もっとシリアスなモラル的なことを見透かされると、下手をするとそこに疑心暗鬼すら生まれる。だから、日々行動には責任を持って臨まないといけない。 逆にちょっと恥ずかしい「子バレ」もある。その代表格は逆上がりだろう。 「逆上がりくらいできな
[タグ]
子どものときのように「なぜ?」という気持ちを持つことの大切さ。幼い頃は、何でも疑問に感じていた。雪はなぜ冷たいのか、空はどうして青いのか、無意識に呼吸できるのはなぜだろう、など。けれど、大人になり、さまざまな人生経験を積み重ねていくと、どんな疑問に対しても「そういうものだから」というちょっと諦めを含んだ答えで納得してしまっている自分がいる気がする。いつからか僕たちは、疑問を抱かなくなっている。そもそも、疑問を持つということは、もっと知りたいという興味から、答えを得ようとすること。人は子どもから大人になると、新たな知識を吸収することが億劫になってくるけれど、それは日常において疑問を持つ機会が単純